「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」 (ローマの信徒への手紙 (詩編119篇105節) |
『坂東先生の解説』
10月最初の中学校チャペル、高校卒業生で、現在中学校社会科の非常勤講師としてお助けくださっているA先生にお話をお願いしました。お寺の副住職を本業としておられるA先生、在学中から、現在僧侶として、様々な方の人生にかかわる中、聖書をどのように考えておられるかをお話し下さいとお願いをしました。
「チャペルでたくさんの話を聞いて印象に残っているけれども、1番印象的だったのは入学式で聞いた言葉みんなも覚えていますか」との質問に、生徒たちはざわざわ。『あなたがたがわたしを選んだのではない。私があなたがたを選んだ』(ヨハネによる福音書15章16節)と聞いて、とてもびっくりした!
私の人生の主は私!自分の思うように進みたいと思い、何か課題があっても、自分で解決しなければと背負い込む。そんな私たちに本当の人生の与え主は神であり、目には見えなくても共に歩み導いてくださる、と人生・命の受けとめ方に目を開いてくれた言葉として紹介されました。聖書の言葉は「わたしの歩みを照らす灯」と詩篇の作者は表現しました。孤独な心に明るさと暖かさをもたらすとともに、私たちの心の暗部に届き、そのままで良いのか?と問い、悔い改めを促す厳しさも併せ持っています。努力した結果への不当な評価や人の存在を否定することにつながる冷たい言葉に、私たちは傷つき、生きる力・思いをそぎ取られる経験をするものです。
しかし、聖書の御言葉は私たちを本来あるべき姿へと引き上げ、またその歩みを正してくれるー5歳で初めて聖書を手にして以来50年間、幾度も体験させられてきました。あなたが在学中に聞き、今も心の中に残っている言葉はどんな言葉ですか?
本離れが加速し、読書量の激減が報じられる中での読書の秋、「本の中の本」と言われる聖書をもう一度開いてみてはいかがですか。
気温の変化、大きい中お一人お一人のご健康と日々の歩みが守られますように。
過去の聖句
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 (ローマの信徒への手紙 12章15節) |
『坂東先生の解説』
9月に入り、「危険な暑さ」の終わりを思わせる涼しい風が吹くようになりました。
学校では中高合わせて2000人が、西南で過ごす今を楽しみ、思い出をつくる中高合同体育祭の準備が重ねられています。リレー選手に選ばれ練習を重ねている者、運動は得意では無いからと別の分野で賜物を発揮して盛り上がりを支えている子、生徒もまた私たち大人もまさに十人十色の人生を生きています。
9月の聖句は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」-とてもシンプルです。聖書が目指す生き方、愛をストレートに超コンパクトにまとめた言葉です。すぐに覚えられますし、言わんとすることもイメージできる。けれども、いざ実行となるとこれがなかなか難しい。自分がうまくことを運んでいるときに、相手の成功を喜ぶ。これはまぁできることですが、自分が悩みや不足の中にある時に相手の幸いを心から喜べるかと言われたら…。親しみを感じている人の喜びであればまぁ素直に喜べるものの、ふと、その人との心理的な距離があらわになって自分の冷淡さに気づいて自己嫌悪に陥ったり…。また他者の喜びや悲しみに接したときに、パッと心が反応しない、どうしてもその喜びや悲しみのレベルまで心が動きださないと言うこともあるのでは。
私はこれまでずっとこの言葉は、他者の喜びや悲しみに即時的に、すぐに心を反応させることであると思って読み、またそのようにありたいと努めてもきました。けれども、今回もう一度ギリシャ語の原文を読んでみたところ、「共に」を意味する語として、シンクロの語源になった「シン」と言う語ではなく、「メタ」という語が使われていることを知ってハッとしました。
「メタ」には「共に、一緒に」と言う意味のほかに「後から、より高次の」という意味があります。他人は所詮、他人。その人の心模様を100%、しかも瞬時に感じるのは土台無理な話なのです。けれども、その瞬間に当人の喜び(悲しみ)レベルまで達せられないとしても、「後から」その人の喜びや悲しみについてじっくりと理解を深める。一時的な共感や同情で終わるのではなく、もう一歩進んでじゃあその悲しみにどう寄り添うことができるかまでを含めて考える。
それは「後から」しかできない共感でしょう。即時的に「わかったような気になる」で終わらせずに、より深く理解しようという関わりの姿勢をこそ聖書は強調しているのでは?
「隣人を自分のように愛する」「敵を愛する」「喜ぶ人、泣く人と共に」、聖書の教えはシンプルでありながらいかに奥深いことか…。なかなかうまくいかないと嘆きと失敗を重ねながらもいつか深い意味での共感ができる者へと「メタモルフォーゼ」(変容)させていただく希望をもって日々歩みたいものです。夏の疲れが秋バテとしてあらわれる時節、どうぞご自愛のうえお過ごしください。
「躍動」(Movement)「どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 (マタイによる福音書13章32節) |
『坂東先生の解説』
白い紙の上に鉛筆の先端をちょんと当てるとできる、とても小さな黒い点ほどの大きさの「からし種」はイエスさまがおられた当時あった種の内で最も小さなものでした。けれども成長すると1.5~3メートルの高さにまで伸び、いのちを守り支える木にまで育つ-小さなものを大きく成長させる神の力、無限の可能性を秘めた自身を過少評価し、早々にあきらめてしまうことを戒め、励ます教材としてイエスさまはお語りになったのでしょう。
6月の同窓会総会・懇親会はここ最近の中で一番多かったのでは?と思うほどの盛会でした。当番幹事学年の皆さんの、またいつも同窓会と母校を覚えて働き続けて下さっている役員各位のご尽力の実りと感謝しましたが、あの場にドージャー先生がおられたら、こんなに多くの卒業生が!と驚かれたことでしょう。
西南学院の最初の入学志願者について、福岡工業学校校長(当時)のお子さんを両腕で抱き上げたドージャー先生が、涙を流しながら「藤川さん、あなたが来て下さったので、西南が始められます」と叫ばれたと伝えられています。今日、学院は多くの園児・児童・生徒・学生を擁し、各界に多くの同窓生を送る群れに成長しましたが、学院に来る一人を大切に喜ぶ思い、先生の涙を忘れてしまったら、西南は枯れてゆくことでしょう。
今日の中学チャペルに義足や義手、車いすなどをつくる義肢装具士をしておられる高校卒業生のKさんをお迎えしました。普段意識することなく使っている身体がプライスレスな神からの贈物であり、一人一人が価値ある存在として生かされていることをお話下さいました。AIの発達によって社会から消える職業の予測をよく聞きますが、一人一人のニーズに応え、寄り添う義肢装具士は消えることがないと言われているそうです。教育現場にもAIをどう活用するか、教員の働き方改革や教員志望者の激減などの波が押し寄せ、将来の教育、学院は?と案じることがありますが、一人の存在を喜ぶ涙から歩み始めた原点を忘れることなく、小さなものを育て用いて下さる神に応える歩みを続けることができるよう祈るものです。同窓生のみなさまにおかれましても、それぞれが遣わされた先で、からし種を育て用いて下さる神を体験しながら歩まれますように。酷暑の中、心身の健康が守られますようお祈りします。
「創造」 「初めに、神は天地を創造された。」創世記1章1節 |
『坂東先生の解説』
いよいよ今年度の同窓会総会 懇親会が近づいてきました 。当番幹事、関係者皆さまのご健康が支えられ 、良き備えができますようお祈りします。
福岡大空襲、沖縄慰霊の日を覚える6月ー西南学院中高では平和を考え、夏に向けて増えてゆく平和に関する報道に関心を向けるように呼びかけてきました。今月のチャペルでは坂東が3月に訪問したポーランド、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館(かつてのナチスドイツによる絶滅収容所)での学びをレポートし、今月の聖句を考えました。人間が人間に対してここまでひどいことをしてしまったのか!想像をはるかに超える規模の大きさ、そこで行われたことの非人間性…。創世記1:1は、ゲットー、絶滅収容所に強制的に連れて行かれた人々のように、バビロン捕囚という悲劇の中で生きた人々によって書かれた信仰宣言です。「人間をはじめ、すべての命とそれを支える天地は神によってつくられたものであり、何者にもそれを支配し、傷つける事はあってはならない!人間社会に様々なことが起ころうとも、神の関心は常にご自分が作った命、世界に向けられている!」
現在、映画「関心領域ーThe Zone of Interest」が公開されています。アウシュヴィッツ絶滅収容所の壁1枚隔てた敷地に暮らす収容所長と妻が悲惨な現場の真隣にいながら、何を聞き、何に目を心を向けて過ごしていたのか、ホロコート被害者の視点から描かれる映画多くある中。加害者の視点を想像し私たちの関心領域は?と問いかける作品です。平和の敵は、歴史から学ぼうとしない無知と無関心!!国際的緊張高まる今こそ、近視眼的にならず、関心をさまざまに向けて学び、語る大切さを思わされています。
「使命」(Mission) 「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」イザヤ書6章8節 |
『坂東先生の解説』
来る15日、108回目の学院創立記念日を迎える5月-はるばるアメリカから日本に来られ、西南学院を始められたドージャー先生のことを思い、月主題を「使命」としました。将来どんな職につくのか?そのためにどんな専門教育を受けて準備をするのか-あなたは自分の命(の時間)を?どのように使うのか?生徒諸君は学院に学ぶ日々で何を吸収するのか?教職員はドージャー先生はじめ学院の教育をつくってこられた先輩たちから何をどのように継承していくのか?問われる時を過ごしています。
アメリカの作家であり、長寿社会をいかに生きるかをテーマする研究者でもあるダン・ベットナーが「生きがい」という日本語特有の語を「ikigai」として世界に広め、生きがいを構成する条件を大きく4つ挙げました。「使命感」、「専門性」、「天職(として受けとめる)」と「情熱」。なるほど、課題に取り組む、関わるに必要な専門的な知見を持っていても、やろう・関わろうという思いが燃えなければ、私のかかわりを待つ課題との距離は縮まらないまま、私の内にも「生きがい」を感じることができないでしょう。どの職であれ、趣味であれ一つのこと・対象に情熱を燃やし続けることはそう容易なことではありません。今年勤続25年(4分の1世紀!)の区切りを迎え、よくまあこんなに長く…と感謝すると共に、あの時はパワーダウンしてたなという反省も…。
仕事については「できるから、する、しなければ」という発想が一般的で、時にその「義務感」疲れや、できると自信をもって言えない劣等感も思う私は、Potes Quia Debesというフランスの格言に慰めや励ましをもらいました。「友よあなたは、しなければならないから、できる(そのように神は助け、与えて下さる)」-わたしの「情熱」は時に弱まり、消えかかることもある。けれども、わたしをその課題、対象に出会わせてくださった神の「情熱」が支え、力をくださるから、できるよ。
5月新たな学校・職場に進んでしばらくたち、いろんな思いの中にある方、長い働きの中パワーダウンを感じておられる方-みなさんにPotes Quia Debes!
「邂逅」(Encounter) 「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」箴言16章9節 |
『坂東先生の解説』
新しい年度の働き・学びが始まりました。4月の主題は「邂逅」-「出会い」の言い方を少し変えてみました。
その辞書的意味は「思いがけず巡り合うこと、偶然の出会い」。また今年度、各月の主題の理解を広げ深める一助とするために添えることとした英単語、エンカウンターもほぼ同意ですが、中期フランス語で「向かっていく」という意味をもつ言葉を語源とするエンカウンターは対立や競争状況を表す-森で熊に遭遇したなど―こともあると知りました。出会いを求めて、マッチングアプリで交際相手や仕事を探す時代-出会いは自分で作るものとイメージする人が増えてきたかもしれませんが、聖書は人の一歩一歩を備えてくださるのは主(=神さま)であると教えています。
歩んでいく道は平坦とは限らず、でこぼこした起伏や、時には穴が待っていたり…。でもいのちの創造主である神は、あれこれ計画を立てる私以上に私を、私の生存と成長に必要な存在・出来事を知っておられ、今がその時!と神が思われるタイミングで出会いを与えて下さるというのです。当座は喜べないこと、うまくやれそうにない相手-長い目で見て、後でその出会いの意味と必要性がわかるようになるから、一歩一歩を意味あるものとしてくださる神さまに信頼して進みなさい!始まったばかりの24年度、時折今月の言葉、神さまの伴ないと励ましを思い起こして、一歩一歩大切に歩みたいと願います。出会いの季節は嬉しいものですが同時に心も体も緊張して、知らぬうちに疲れをためこんでしまう時でもあります。どうぞご自愛の上お過ごし下さい。
結び(むすび) 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 |
ヨハネによる福音書12章24節 |
『坂東先生の解説』 3月1日、高校の卒業式が行われ、380名が所定の学びを終えて巣立っていきました。
当日は同窓会の川崎会長、また前日の卒業礼拝の後に行われた同窓会評議員の任命式では副会長の坂田さん、6月の総会の当番幹事学年を代表して浦川さんが卒業生=新入会員に向けてお祝いと同窓会活動への招きを語って下さいました。毎度思わされることですが、お仕事のある中、母校や後輩のために時間をささげてご来校を下さる皆さんに今回も本当にありがたく感謝しました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
卒業という節目を経て、新たな場所・関係・学びや仕事へと移っていく-そこには期待通り、自分が思い描いていた通りのものだけが待っているのではない。これはこの拙文を読んで下さっているあなたも私も、あの時そして今もなお感じていることです。どうしても気になれない人もいれば、自分のベスト!と思って提案したことが思うほどの評価を得られなかったり…多様にして多才な人々の組み合わせで成り立っている社会にいるのですからそれは当然のことなのですが、当人-特に若い世代-にとっては大問題です。先日、自分の作品がテレビドラマ化された時に、その内容が自分の意図とは異なる仕上がりになったことが原因と思われる、漫画家さんの死が話題となりました。自分の作品に手が加えられる-漫画家さんにとってわが子のような存在に手が…つらかったのでしょう。小論文や大学志望理由書の添削指導を頼まれ、つい熱が入って、原文の面影がなくまるまでに手を入れ泣かれたこと、一度や二度ではない坂東は、その時の生徒さん涙を思い出しながらニュースを見ましたが、今月の言葉は、つい自分の思いにこだわってしまう場面でぜひ思い起こすべきことを教えています。すなわち、一粒の種が、自分はこの姿を完全に保って生を全うする!それ以外の形はない!と思うなら、そのままで-何の実りも、実りを味わった人々からの感謝や評価の声も聞くことないまま-生を終えるだろう。でも自分の形を固守すべきことと思わずに他者からの助言・アイディアが加わることを感謝して受け容れ、変化することを楽しめる心を持つならば、その実りは大きい! 西南学院高校を巣立って新しい世界へ進む一人一人が、神さまからの愛と平和を作り出す者としての使命を心に刻み、他者からの助言を感謝して受けとめ、自分でも気づいていない自分と出会う変化を楽しむ力をしなやかに働かせて、実り多い人生を歩まれることを願ってやみません。
愛(あい) 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 |
コリントの信徒への手紙一13章4節 |
『坂東先生の解説』 能登半島地震から1か月―大切な存在(家族、仕事、居場所…)の喪失の悲しみと避難生活での大きな不自由、不安の中、また支援の働きの中で過ごしておられる一人ひとりに必要ないやしと必要の充たしがありますように。 早くも2月を迎え、学校では高校3年生および既卒生の大学受験、新1年生を迎える入試や説明会など現・新の年度の業務が併行する時節となりました。締めくくり、振り返りの時が近づくこの年度、私はどのような愛をもって同僚や後輩や生徒また家族に接してきたでしょうか?今日(1日)のチャペルでシルヴァン・パヌー先生が語られたメッセージが心に響きました。先生が大学生だった時、友人と出かけたレストランで店員さんが注文を取り間違えるミスを連発、オーナーが謝りに来る事態に。テーブル担当を外れることになった彼、実はその日の朝早くお母さんが亡くなったばかりで、でも働かなければならない事情のもとにあったと知って、ミスするのも無理はないと同情したというエピソードを紹介して、私たちは自分をイライラさせる相手に対して忍耐強く、相手のおかれた状況を理解しようとする愛をもって接しているでしょうか?と問いかけられました。愛は人に親切にすること。でもイエスさまはとなり人を愛することの前に「自分を愛するように」と言われたのですから、自分のケアも大切とも(後回しにしがちですが、ほかの人にやさしくあるためにも大切なことですね)。あたたかな、うれしい思いの中で2024年を始め、また年度の結びを迎えることができるよう、同僚や家族への愛・感謝を恥ずかしがらずに言葉、声に出して伝える-先生が下さったアドバイスを心がけ、実行するものでありたいと思います。 *シルヴァン先生:宣教師として西南学院で働かれたシィート先生やハンキンス先生が日本を離れた後も西南学院のために祈り、宣教師としての思いをもって働く英会話の先生を西南学院に送ることを願って結成された「4L Foundation」から派遣され2021年4月~2024年3月、英会話担当の先生として中高をお助け下さいました。
進(すすむ) さあ、立て、ここから出かけよう。 |
ヨハネによる福音書14章31節b |
『坂東先生の解説』 能登半島地震、羽田空港での事故、80年の歴史持つ北九州鳥町食堂街の火災―思いがけない出来事が続く中での年始となりました。大きな悲しみ、失意の中におられる方々に必要な癒しと助けがありますように-個人的にまた3学期の開始に備えるさまざまな会議の中で先生方と祈りを重ねています。 今月の聖句「さあ、立て…」は、イエスさまが逮捕される直前弟子たちに、祈りの場としておられたオリーブ山に向かおうと促された言葉です。弟子たちを待っていたのはイエスの逮捕と十字架、そして師であるイエスを見捨てた後悔とイエスの存在・教えを抹殺することを願った反対者に追われる恐怖と身を隠す潜伏の日々…。しかしイエスが復活なさった後、この言葉は彼らを再び弟子として立ち上がせるよびかけとして彼らの内に響き、イエスがなさったように貧しさや病い、孤独の中にある人々を支える歩み、教会の誕生へと押し出しました。さまざまな課題に直面し、座り込んでしまう私たちに、イエスさまは聖書を通して呼びかけ続けています。「さあ、立て、ここから出かけよう」-先が見えない闇のような世界、しかしそこにも神さまの手が延ばされている、死が復活の光に包まれたように悲しみが喜びに変えられる時がくると信じて、一歩踏み出しなさい! 日本社会、ふたつの戦争が終わる気配なく続く世界―共に先行きの不透明さが増すばかりに思える中であればこそ、「立て、出かけよう」と呼びかけておられるお方の声の中にしっかりと立ち、それぞれに示される働き、関りへと歩みを進めたいと願います。寒さの中どうぞご自愛の上お過ごし下さい。
光(ひかり) 光は暗闇の中に輝いている。 |
ヨハネによる福音書1章5節 |
『坂東先生の解説』 昨年、イルミネーションで飾った博多駅前や市役所前に645万人!を集めたクリスマスマーケットが、今年はクリスマスアドベントと名を変えて規模も拡大し、雰囲気を盛り上げていくとのこと。牧師としてはクリスマスと名のついたイベントを喜ぶべきなのかもしれませんが、人工的な集人(金)灯の華やかな光が、かえって、貧しい家畜小屋で生まれ、悪政の下で貧困・病に苦しむ人々の友として生きたイエスの降誕の意味を見えなくしているように思われてなりません。暗い部屋を瞬時に照らす電球を作った人間は闇を恐れなくなった-確かにそう言えますが、その人間の内側は、自分や家族の健康や経済、将来のこと、あるいは自分が属して職、生きがい、収入を得ている会社や機関のこれから、様々な面で競争力や国際的地位の低下が進む日本の今とこれから、沸騰化時代に入ったとも言われる地球環境…書き出すと止まらないほど不安にあふれているのでは…。2学期の期末テストの論述問題、中学1年生が「自分にとって聖書は大切なものだ。それは本当に考えなければならないことと、そうではないことを切り分ける、ヒントをくれる存在だからだ。」と書いた言葉に深く教えられました。聖書が語る「光」すなわちイエス・キリストは、世の闇がどんなに深く暗いものであっても、神がわたしたちと共にいて下さる(インマヌエル)限り、不安や恐れに振り回され、支配される人生を送る必要がないことを伝えるためにこの世に来てくださいました。終わりの見えない2つの戦争続く中迎えるクリスマスなればこそ、この社会に真の平和をもたらし、私や周囲の方々の心を照らしあたためる光、今この世界・私が思い出さなければならない大切なことをしっかりと思いめぐらし、心に刻む時をお持ち下さるよう心から願っています。24日朝と夜、各地の教会で持たれますクリスマス礼拝にお出かけください。
実(み) 平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、 大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。 |
旧約聖書 ゼカリヤ書8章12節 |
『坂東先生の解説』 「平和を作り出す者は幸いである」と聖書を通して今も語るイエス・キリストの記憶が刻まれたイスラエルで戦闘が起ころうとは…。かつてのホロコーストを超える虐殺とも評される戦闘は止む気配なく、約1か月の間に万を超えるいのちが奪われました。新聞、テレビが伝える惨状を見、悲しみと無力感が募るばかりです。その中開く11月の聖句は、自分たちを支え導いてくださった神に替えて偶像・軍事力を頼みとした罪によって「バビロン捕囚」という大きな教育的試練を受けたイスラエルが悔い改めて再び歩み出す時に神が起こし、与える祝福を伝える言葉の一節です。この秋もぶどうをはじめ様々な植物が自身の使命を果たすべく豊かな実りを提供し、私たちの命と楽しみを支えてくれています。翻って、人間は…。悔い改めなしにただ実りを食べることは貪りです。人ばかりでなく多種多様な命を豊かに支える大地を戦場に替えてふみにじる愚行の「支援」に、もっと多くの可能性・緊急性を持つ財を投入する愚を塗り重ねる歩みを止めるよう真剣に求め、祈らなければなりません。 今年のアドベントは12月3日からですが、西南中高では一足早く13日にツリー点灯式を行い、世界の平和を祈りつつクリスマスの意味を思う時節を過ごします。世界各地で過ごす難民の子どもたちに衣類を届ける「届けよう、服のチカラプロジェクト」「クリスマス街頭募金・献金」-西南が平和をつくり出す者を育てる教育の使命をしっかりと果すことができるように、また後輩諸君の働きが用いられるよう、どうぞお祈りください。
共(ともに) あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、 上にあるものを求めなさい。 |
コロサイの信徒への手紙 3章 1節 |
『坂東先生の解説』 しばらくの夏休みをいただきましたが、10月からまたお付き合いください。 2023年も残すところ3か月となり、年度の後半に入りました。やらねばと思ったことの進み具合は?やり残していることは?気にかかる時ですが、私たちが計画・実行・評価できることは地にあって、カタチある、目で見ることができること・もの、経済的な力や人からの評価でしょう。聖書はそれらだけを追い求め、心をひかれすぎず、「上にあるもの」を求めなさいと教えています。願うこと・レベルに達していない自分を悲しみ、そこにばかり目を向けていては、神さまが創造された空の高さやひろがり、紅葉していく木々の美しさに気づくことができません。「そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」(2節)-天から注がれている励まし、いつくしみのまなざしを感受して歩む、天の父なる神のみ心を地上で歩むことを教えて下さったキリストが、私の人生で取り組むことを願っておられることは何か?を心にとめて歩みなさい。多くのなすべきことに囲まれて過ごしておられるみなさんが、気持ちの良い秋の空を見上げてリフレッシュし、「上にあるもの」を思う時をお持ちになるよう、願っています。
育(育み) イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 |
ルカによる福音書 二章 五二節 |
道(みち) さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。 |
エレミヤ書6章16節 |
希(こいねがう) 平和を願って、これを追い求めよ。 |
ペトロの手紙一 3章11節 |
『坂東先生の解説』 「ウクライナ侵攻がはじまってから世界は確実に戦争を肯定してしまうような風潮を持ち始めていると思う」「これまで戦わない国だった日本も、相手に攻撃する能力を保持することになった」-この春の中3聖書学年末考査の論述で戦争と平和に関することを書いたものが例年になく多くありました。他学年の生徒と関わる中でも平和の動向に不安を大きくしている中高生が確実に増えていると感じます。「国家安全保障戦略」に「敵基地先制攻撃能力」の保有を何の国民的な議論もないまま閣議決定で明記してしまった日本は、戦争をしない・できない国だという安心と信頼を自ら破り、自国の若者たちを大きな揺らぎの中に陥れてしまったといわざるをえません。 福岡大空襲(19~20日)、沖縄慰霊の日(23日)-先の世界大戦での悲しみ、過ちを想い起こし平和への誓いを新たにする記念日がある6月、平和を希求する世界の人々と共にウクライナをはじめとする各地での戦闘の一日も早い収束と、悲しみと混乱の中にある方々を覚えて祈りましょう。 いよいよ、今月10日(土)に近づいた同窓会総会・懇親会―西南で与えられたつながりを再確認し、それぞれの場所で愛・自由・平和を重んずる西南スピリットを表し生きる思いをあたらにされる時となりますように!会場でお会いしましょう!
礎(いしずえ) イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。 |
コリントの信徒への手紙一 3章11節 |
『坂東先生の解説』 土台が大切-建てようとする家屋が大きければ大きいほど、地中深く掘り下げて堅固な土中の基礎に杭を打ちこむ必要があります。迎え入れたいと願う人や活動の数、大きさによって建物の大きさが決まり、どこに土台を求めるかを考えます。ならば、生きている間に無数の人とかかわる「人生」やさまざまな個性・願いを持つ生徒や学生を迎え、ともに育とうとする「学校」「教育」が土台をどこに求めるのか-その重要性は言うまでもありません。 先月、ふくの湯でばったり卒業生A君(小学校の先生)との再会のことを書きました。近況を聞きあった後に思いがけない質問を受けました。「先生が、教育の仕事の中で大切だと思う聖書の言葉は何ですか」-頭の中にいろんな言葉が浮かんだ中、今月の聖句と同じくコリントの信徒への手紙にある「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させて下さる神です」というパウロの言葉-わたしの目・力を過信するのではなく、一人ひとりを守り育てて下さる神への信頼こそ-と答えました。が、その日以降もしばらくこの問いが頭から離れず、いろいろ思いめぐらす中、イエス・キリストの言葉といのちと向き合う姿、十字架と復活を時空を超えて伝える聖書を基盤・土台としていることの豊かさ、確かさを改めて思わされました。 一匹の羊をさがし求める羊飼い、才能・能力を神からの賜物として感謝し活用することを教えるタラントンのたとえ、善きサマリヤ人、敵を愛しなさい…時代がどんなに変わってもなくしてはならない愛を自分の人生の土台また目標として生きているか、どう生きるのかを聖書は今日も問いまた示し続けています。 この5月15日久しぶりに、中高に学び働く生徒・教職員約2000名が一堂に会して学院創立107周年の記念式典を行います。学院の真の創立者である神さまの言葉を土台とし、愛を具現化する西南学院として歩み続けることができるよう、同窓生の皆様のお祈りをお願いいたします。
会(あう) イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 |
ルカに よる福音書 24章 36節 |
『坂東先生の解説』 今日から4月ー新年度最初のテーマは「会(あう)」。春は、学校、会社、教会、地域でどのような出会いが待っているか期待が高まります。 2000年前の春、期待する私たちとは真逆の気持ちの男11人がエルサレムの一室に集まっていました。後に、殉教の死を遂げるまで、教会を作り人々の信仰生活をリードした彼らですが、この時は自分たちが見捨てた先生イエスが十字架で殺され、残党を探す追っ手への恐怖の真っ只中。そのお先真っ暗状態に道を開いたのは、復活のイエスの言葉「あなたがたに平和があるように」でした。彼らがイエスのもとに出かけて聞いたのではなく、復活のイエスご自身が会いに来て下さった!まず神が!ー聖書は、神さまと私の関わりの順番をはっきりと示しています。多くの人・ものとの出会いーその中には、残念ながら、心を重くする出来事、自分の力では対処できないと思われる課題も含まれているでしょう。 期待が不安に変わることは往々にして起こる人生の常。であれば、出会いの中に身を置く前にまず、失意・恐怖の中にあった弟子たちに会いに来てくださり、わたしたちの日々が平和であるよう祈られたイエスさまとしっかり会っておく!これこそ新年度を歩み始める私に命じ、あなたにもおすすめしたい準備です。3月末、新しい学校への転任・引越しの準備の中、体を休めに来たA君とふくの湯で再会。「教員の仕事の中、部の応援旗に書かれていた聖書の言葉「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。」(ヤコブの手紙)を思い出して、頑張っています」。本の中にとどまらず、生きて人を支え、折にかなった慰め励ましをくださる聖書の言葉の力、神さまのお取り扱いへの感謝を新たにさせられました。 この年度も拙文をもって、母校、聖書、神さまを思い出すお手伝いが出来ますならば幸いです。どうぞよろしくお付き合いください。 4月9日はイエスさまの復活をお祝いする復活祭・イースターです。どうぞお近くの教会にお出かけください。(西南学院と深い協力関係にあるのは、日本バプテスト連盟に加盟する教会です。さまざまな方が集う教会ーマスクの携行をお勧めします。)
立つ 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、 あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 |
エフェソの信徒への手紙 3章 17節 |
『坂東先生の解説』 今月1日、425名が3年また6年の西南学院中高での学びを終えて巣立っていきました。卒業式の前日の卒業礼拝には、高校同窓会から副会長さんはじめ10名近くご出席下さり、学年評議員の任命やこの6月の総会・懇親会へのお招きを本当に丁寧に頂戴しました。ありがとうございました。卒業生が漕ぎ出す社会は、コロナの影響はだんだん薄れつつあるとはいえ、平和をめぐる国際情勢、経済の動向など日本の内外で課題が複雑に山積し、その中を「自己責任」で生き抜くことが求められます-先輩卒業生の皆さんは今の時代の不透明さ、生きづらさを日々、ひしひしと感じておられることでしょう。今月の聖句は、ローマで獄中にあったパウロが遠く離れたエフェソの教会の人々を思い書き送ったと伝えられる手紙にある祈りの言葉の一部。これから新たに西南を遠く離れた地に向かう卒業生、あるいは今現在留学や仕事のため世界の各地にある在籍生・卒業生を思う時、私もパウロのように祈らずにはおれません。周囲との関係がうまくいかない、正当に理解・評価してもらえない思い悩み、悲しみに直面する時、どうぞ西南で知った神さまの愛の内にあることを思い出させてください。冷静さを欠いた感情のままにふるまうのではなく、敵と思える相手にも誠実を示す愛に立つ者として歩むことができるよう導き、助けてください。 私が西南の教師であることを知った方、複数の方から「西南の卒業生の方って、どこか違う、やさしい空気を感じるんです」と声をかけていただきました。卒業生を送り出す者にとってうれしい言葉です。今春巣立った諸君を含む卒業生・同窓生の皆さんが、御子イエスさまをこの課題多き世に送り、共に歩んで下さっていることを明らかにされた神の愛に根差した日々を歩まれることを心から願っています。(2023年のイースター(復活祭)は、4月9日です。どうぞお近くの教会にお出かけください。西南学院と深い協力関係にある教会の集合体は、日本バプテスト連盟です。日本バプテスト連盟加盟の教会をお探しの上お出かけ下されば幸いに存じます。)
信じる 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 |
ヘブライ人への手紙 11章 1節 |
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 |
ローマの信徒への手紙12章14節 |
『坂東先生の解説』 新しい年が始まりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 年の初めに多くの人が新年礼拝や初詣に出かけ、その年の健康や歩みが守られるよう祈ります。自分や家族の事を願う事は自分や周囲の人を思いやる愛の表れであり、神さまに対する信頼や信ずる思いがあればこその祈りでしょう。けれども自分の幸せや成功を願うあまり、自分に何らかの不利益、不愉快をもたらす相手に災難を襲いかからせてくださいと祈ってしまうことも…私を含め、多くの人が思い当たることがあるのではないでしょうか。実際そう祈らなければやってられないような思いに陥ることがあるのですが、今月の聖句は祈りは祝福のためにこそあり、相手を呪うためのものではないことをはっきりと教えています。 憎い相手を思い浮かべて不幸を願っている時間は、実はその相手やすでに過ぎ去った出来事に自分の心、人生を支配させてしまっている!のです。なんとももったいない時間をこれまで過ごしてきたことか…。御子イエスさまをお送り下さるほどに私たちひとりひとりを愛してくださる神様のお取り扱いを信じ、身を任せる者は神様以外の支配を受けてはならず、自分サイドの見方に偏り、不正確な部分もある判断を神様のお取り扱いよりも優先させる事を聖書は厳しく戒めています。先輩牧師のメッセージの中に見つけた一文、確かにそうだなと思わされました。「人の目には「良く」見えて「滅び」に至る道がある。逆に人の舌には「苦く」感じて「幸い」に至る道がある。」世界・社会が不透明さを増す中、今年も様々なことが起こることでしょう。けれども創造の時から現在そして終末〈世界の完成〉まで私たちに伴い導いていてくださる神さまにある希望と信頼を新たに、様々なことの中に祝福を見出し、分かち合う器として育てていただくことを願いながら、一歩を踏み出しましょう。
喜ぶ 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 |
マタイによる福音書 2章 10節 |
『坂東先生の解説』 イエスさまがお生まれになった時、占星術の学者たちが会いにきた-「黄金・乳香・没薬」贈り物の数から3人と伝えられています。牧師だった頃関わった幼稚園のクリスマス劇で毎年人気の役でした。博士は何でも知ってる、贈り物を渡すところがかっこいい-子どもたちはそう言いましたが、大人の皆さんは? 年齢も、健康や経済の状態もよくわからない彼らですが、星の知らせを信じて旅立った=仕事上の立場、収入を手放して!?の決断力、実行力がすごい!そこまでして追いかけたい、信じたい夢・希望があることがうらやましい! 中高6年間、高校3年間成長のプロセスを見させていただくことはできても、卒業後も全員の名前を忘れず、歩みを見続けることは…人のなしうる関わりの限界を思わせられます。人生の時間には限りがあり、自分が手がけたこと、取り組んだことの結末を完全に見届けられることできない…と空しさが心をよぎることも。 あの日学者たちの心にあふれた喜びは、救い主を送る神さまの約束の実現を自分の目で見ることができた喜び、神さまとその約束は信頼することができる!限りある人の関わりとは異なる、時空を越えて関わり続ける愛の実在に気づいた喜び!ここに気づく時、自分の人生、また手がけていることを長い年月をかけて練り育て完成に導いて下さる神から来る希望と信頼、今私にできることを精一杯心を込めてさせていただこうという思いがわいてくる。 コロナ、戦争、平和・経済の先行き不透明-闇の広がりと深まりを感じる今なればこそ、星を見上げて、時空を越えて関わり続けて下さっている神からの愛と希望をしかと受け取るクリスマスをと心から願います。24日、25日、どうぞ教会でのクリスマス礼拝にお出かけ下さい!
共に生きる 一つの部分が苦しめば、すべての部分か共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 |
コリントの信徒への手紙一 一二章 二六節 |
『坂東先生の解説』 早いもので、2022年も2ヶ月を残すばかりとなりました。新しい年に取り組みたいことを思い浮かべつつ、この年の歩み・出会いを振り返る時節-交友リストに新たに加わった顔、その人の時を全うして神さまのもとへと帰った人、意見の相違で気まずくなった人…。「共に生きる」の言葉でさまざまな顔が思い浮かびます。今年これができた、できなかったと振り返る中に、他の人の苦しみや喜びをどれだけ共有できたか、しようとしたかを自分に問う、この2カ月の中で出来る関わりはないだろうか?と考えて思い残すところを少なくして年の終わりを迎えるというのはどうでしょうか?出口・終結が見えない戦争、コロナ、8波が!?-共に生きることの難しさ、感染防止のための自制や遠慮…いろいろ考えさせられる昨今ですが、身近なところでは思いを言葉に、かたちに表して少しでも明るい、あたたかな年の瀬を迎えたいものですね。寒さへと向かうこれから、ご自愛のうえお過ごしください。
味わう 味わい、見よ、主の恵みの深さを。 いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。 |
詩編 三四 篇 九節 |
『坂東先生の解説』 果物、野菜、実りを楽しむこの季節にぴったりの言葉だとも思いますが、味わい、見よ-と呼びかけるダビデの胸中にひろがっていたのは、まだ王になる前の苦い思い出。イスラエルを悩ませていた宿敵、大男ゴリアトを倒し人々の注目と称賛を受けたダビデ。サウル王は彼をほめるどころか、ダビデの人気に嫉妬し、自ら軍隊を率いてダビデのいのちをねらい、ダビデは逃亡の身となりました。逃げて逃げて、たどり着いたのはなんと、自分が打ち殺したゴリアトの出身地-町の英雄を殺したあいつが!復讐のチャンスをうかがう人々の中に飛び込んでしまったダビデはまさに“飯ものどを通らない”心境だったでしょう。狂人を装うことで、戦いの相手にならない奴と思わせピンチを切り抜けたのでした。(参照:サムエル記・上、21章)ピンチを自分の力(上のエピソードではサウルを殺す武力)で切り抜けるのではなく、神の取り扱いに信頼して歩む中味わった「主の恵み深さ」をあなたもと呼びかけられています。年度後半、あそこにも、ここにも!悲喜、課題一つ一つの中で主の恵み深さを味わい、見る日々を歩まれますよう、心からお祈り申し上げます。
育てる 真の命を得るために 未来に備えて自分の為に 堅固な基礎を築くようにと |
テモテへの手紙一 六章一九節 |
『坂東先生の解説』 つながり、助け合いを楽しみ、学ぶスポフェス、中学体育祭が行われる9月の聖句は、パウロが親子ほど歳の離れた弟子テモテに宛てた手紙の一節です。「真の命」:人として本当に大切にすべき命の受け止め方、生き方、「堅固な基礎」:長い人生の歩みを支える力とは?「これからの時代は英語ができたほうがよかね」は昔のこと、今は4技能が求められ、ワード、エクセル、プレゼン力も…技術の進歩と共に求められる力は増え続け、できる人、持ってない人と分断が進み…。さらにコロナでリモートワークが増える中、会社や社会への帰属意識の希薄化に悩む人も少なくありません。これまで、そしてこれからも訪れるであろう人生・社会の危機の中、必要な基礎力は、「神が置いて下さるつながりの中にある命」であることを忘れず、「助けが必要な時には感謝して受けまた差し出すことができる力」でしょう。17日の同窓会総会・懇親会-西南で与えられたつながりを確かめ、あたため、また新たにつなぐ時となりますよう、盛会を心からお祈りします。
求める 求めなさい。そうすれば、与えられる。 |
マタイによる福音書 七章 七節 |
『坂東先生の解説』 7・8月の言葉はキリスト教学校に学んだ人であれば必ず耳にしたことがあるでしょう。求めたからといって、望んだものが与えられるとは限らない-そう反論したい気持ちをわきに置いて調べてみると… この「求めなさい」は1回やってみなさいという意味ではなく、継続して「求め続けなさい」と訳すことがふさわしい言葉で書かれています。 なるほど、取り組みをストップしたらしばらくは現状維持が続くとしても、ほどなく後退が始まる…個々人の成長・目標の達成ばかりでなく事業・会社の歩み、平和の実現に向けた歩みも。暑さ厳しい中ですが、生徒諸君が聖句から神の励ましを感じ取って学び続けることができるよう、また同窓生のみなさんがそれぞれの場で示されているビジョンに対して求め続けるアクティヴな歩みを続けることができますよう、お祈り申し上げます。
聞く わたしは神が宣言なさるのを聞きます。 主は平和を宣言されます。 |
詩編 八五 篇 九 節 |
『坂東先生の解説』 福岡大空襲(19~20日)、沖縄慰霊の日(23日)-6月は先の世界大戦での悲しみ、過ちを想い起こし平和への誓いを新たにする記念日にちなんで、毎年「平和」について考えるチャペルをまもっています。 再び戦争が起こり、平和が脅かされている今、わたしたちは何を、どなたに聞き、どんな世界・社会をこどもたちに渡すべきでしょうか。 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」 (国連本部前の広場に刻まれている、イザヤ書2章4-5節)
受け継ぐ 柔和な人々は、幸いである。 その人たちは地を受け継ぐ。 |
マタイによる福音書 五章 五節 |
『坂東先生の解説』 コロナのため停滞したこと多かった2年に対し、今年こそは動けるようにと願いを込めた動詞が つづく月主題-5月は学院創立記念日を覚えて「受け継ぐ」としました。 「柔和な人」とは、 苦難の中にある時も神さまの支えを信じて忍耐し、その時と場で最善を尽くす姿勢を意味します。 106年におよぶ学院の歴史は、ドージャー先生をはじめ、多くの「柔和な」人々によって紡がれてきたことを思います。 コロナに加えて各地での戦闘による影響の拡大が続いています。 生命・生活の危機の中にある方々のことを覚えて祈り、それぞれに「柔和な」歩みを胸に歩みましょう。
歩む 人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。 |
箴言 一六章 九節 |
出で立ち アブラムは、主の言葉に従って旅立った。 |
創世記 一二 章 四 節 |
つながり イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」といわれた。 |
マタイによる福音書 四章 十九節 |
支え合い 体全体は、節と節、筋と筋とによって支えられ、結び合わされ、 神に育てられて成長してゆくのです。 |
コロサイの信徒への手紙二章一九節 |
宿り 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。 |
ヨハネによる福音書 一章一四節 |
道のり 主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。 |
詩編 三七篇 二三節 |
実り 平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、 大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。 |
ゼカリヤ書8章12節 |
隣り わたしはあなたがたを友と呼ぶ。 |
ヨハネによる福音書15章15節 |
育み 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、 あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。 |
ガラテヤの信徒への手紙5章1 |
解き放ち この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。 |
ガラテヤの信徒への手紙5章1 |