田中公司君は1988年3月、西南学院高等学校を卒業しました。在学中はハンドボール部に属し3年次には19人の部員のキャプテンを務めていました。身長はそれほど高くなかったものの、均整のとれた体で足も速く運動神経に優れた選手で、仲間からの信頼も厚く責任感のある生徒でした。練習は厳しかったですが、愚痴も言わず一生懸命に他の部員と一緒に頑張ってくれました。
 防衛大学校に進学した後、一度だけ制服姿の田中君と会った記憶があります。その後、随分経って彼が航空自衛隊のパイロットとしてアメリカに派遣されると聞きました。何でも最新鋭のジェット機の訓練に行くという話でした。三十年ぶりに彼を見たのはテレビの画面上でした。東日本大震災の時、別の基地にたまたま派遣されていたブルーインパルスの報道でした。隊長インタビューを見ていた私は思わず妻に「公司だよ!公司だよ!」と叫んでいました。後で妻に彼が西南学院高校のハンドボール部のキャプテンだったことを話したことを昨日のように思い出します。
 F15戦闘機が行方不明になったことは知っていましたが、まさか彼が搭乗しているとは夢にも思いませんでした。西南学院高校の先生からお電話をいただき、彼が搭乗していることを知らされ、1等空佐になってまで現役で戦闘機に乗っていたのかと残念でなりません。無事であることを祈っていましたが、遺体となって発見されました。テレビ報道で彼の写真が映されるたびに「太ったね」「残念だったよ」「元気で会いたかったよ」と心の中で語りかけておりました。
 私の財産は西南学院高校を巣立っていった子どもたち。
 公司、いつまでも輝いて後輩たちを見守ってくれ。貴方の活躍は西南の宝。本当に残念でなりません。どうぞ安らかに。ご冥福をお祈り致します。

元西南学院高等学校 ハンドボール部顧問 和佐野健吾

前列中央が田中公司君 1988年卒業写真

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